水泳というスポーツの歴史を紐解くと意外な事実が!
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かなづちの人、少ししか泳げない人、ここではこっそりと水泳をマスターできるように応援します。でもその前に、水泳がどんなスポーツなのか、豆知識を紹介しましょう。
ここでご紹介するのは、水泳の歴史についてです。昔の人の泳ぎ方やオリンピックの競泳の歴史を知ると、もっと水泳が好きになるはずです。
世界の水泳の歴史
水泳の歴史を紐解くと、古代のエジプトやギリシャ、中国にまでさかのぼります。
現在のようなスポーツとしての水泳ではなく、魚や貝類を捕るための手段として泳いだり、潜ったりしていたことが記録されています。
イギリスの大英博物館には、中東に住んでいたアッシリア人が袋に入れた空気を吸いながら泳いで川を渡っている、紀元前8世紀頃に作られたレリーフが収蔵されています。これによって、水泳が当時の人の生活に密着していたことがよく分かりますね。
また、古代ギリシアから伝わるギリシア神話には、女神アプロディーテーの女神官ヘーローに恋をしたレアンドロスという青年が、海峡の対岸に住むヘーローに会うために、毎晩、海峡を泳いで渡ったというお話があります。
このお話は、レアンドロスが冬の嵐の夜に波に巻き込まるという悲しい最期を迎えますが、海に囲まれて暮らしている古代のギリシャ人にとって、水泳はとても身近なものだったようです。
4泳法の歴史
4泳法とは、クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎの4つの泳ぎ方のことです。
19世紀に始まったスポーツとしての水泳ですが、当時の泳ぎの主流は横泳ぎと平泳ぎでした。
その頃の平泳ぎには、息継ぎという習慣がなく、顔を水につけずに泳ぐのが一般的だったため、最も伝統のある優雅な泳ぎとされていました。
それが、イギリス人のアーサー・トラジオンによって考案された、腕を交互に水面上に出すトラジオン・ストロークが考案によって、これまでよりも速く泳ぐことができるようになりました。さらに、はさみ足がバタ足に変化したことで、クロールが誕生したのです。
背泳ぎも歴史のある泳ぎ方ではありますが、足は平泳ぎのようなカエル足で、腕はバタフライのように両腕を揃えて同時に水をかくという、現在とは全く違う泳ぎ方でした。
その後、クロールを裏返したような今の形とになり、さらに、ドルフィンキックで潜行するバサロと呼ばれる潜水泳法を取り入れることによって、泳ぐスピードは格段にアップしました。
そして、4泳法の中で最後に誕生したのがバタフライです。当時のバタフライはカエル足でキックをしていましたが、後に現在のドルフィンキックに改良されていきます。
平泳ぎから発展したバタフライは、当初、競技会ではバタフライ式泳法として平泳ぎの種目で泳がれていましたが、その後、平泳ぎから完全に分離されました。
オリンピックの水泳の歴史
オリンピックといえば、古代ギリシャのオリンピアが発祥の地ですが、近代オリンピックの始まりは意外と新しく、第1回の大会は1896年(明治29年)にアテネで開かれました。
当時は男子のみの参加で、競泳競技は100mと500m、1500mの自由形のほか、水兵が参加する100m自由形の4種目のみでした。しかし、当時の自由形では、現在のようなクロールではなく、平泳ぎで泳ぐのが一般的でした。
その後、1900年の第2回大会には、平泳ぎの優位性を保つために、平泳ぎよりも速く泳ぐことができる背泳ぎを自由形から分離しますが、さらに、クロールの台頭により、1904年の第3回大会には、今度は平泳ぎを自由形から独立させます。
そして、1956年の第16回大会には、4泳法で最後にバタフライが加えられました。
日本が初めてオリンピックの参加したのは1912年の第5回ストックホルム大会で、競泳では、1928年の第9回アムステルダム大会で、男子200m平泳ぎの鶴田義行さんが初めて金メダルを獲得しました。
日本の水泳の歴史
日本での歴史の中で初めて泳ぎが登場するのは、奈良時代に編纂された古事記と日本書紀で、黄泉の国から戻った男神イザナギノミコト(伊邪那岐命)が禊ぎをする際、「上の方は流れが速い。下の方は流れが遅い」と言って、中間あたりに潜って穢れ(けがれ)を流したとされています。
そのほかに、奈良時代から平安時代にかけて編まれた万葉集の中には、海女が潜ってアワビを獲ったことについて歌った次のような歌があります。
万葉集 第十一巻 歌番号2798伊勢の海人の 朝な夕なに 潜くといふ 鮑の貝の 片思ひにして
「伊勢の海女が朝に晩に獲っているアワビ貝のように片思いをしている」という意味のこの歌からも分かるように、この時代にはすでに海で泳ぐということを行っていたのでしょう。
日本泳法(古式泳法)の歴史
時代が下って戦国時代から江戸時代になると、水泳は「水術」「水練」「游泳術」「泅水術」などが武術として日本各地で発達しました。その歴史は、古いもので15世紀後半にまでさかのぼります。
横泳ぎや立ち泳ぎのような基本泳法のほか、泳ぎながら刀を打ち合わせたり、火縄銃を撃ったりする応用泳法のような、現代の水泳とは異なるさまざまな泳ぎ方が受け継がれてきました。
後に、それらの日本独自の泳ぎ方が日本泳法と呼ばれるようになったのです。
江戸時代以前に誕生した日本泳法には、主に次の12の流派があります。
流派名 | 発祥地 |
---|---|
向井流 | 江戸(東京) |
水府流水術 | 茨城 |
観海流 | 三重 |
岩倉流 | 和歌山 |
能島流 | 和歌山 |
小池流 | 和歌山 |
主馬神伝流 | 愛媛 |
神伝流 | 愛媛 |
水任流 | 香川 |
山内流 | 大分 |
小堀流踏水術 | 熊本 |
神統流 | 鹿児島 |
参考:日本水泳連盟「日本泳法概説」
現在は、日本泳法の保存や普及のために、日本水泳連盟によって日本泳法大会が毎年開催されているほか、範士・教士・練士・游士・如水・和水・修水という7つの資格の授与が行われています。
日本の近代泳法の歴史
明治時代になり、日本でも競技としての水泳が盛んになりはじめました。当時は、遠泳のような海での競技大会が一般的で、多くの観客が声援を送る中、各地で競技大会が開催されました。
しかし、サイドストロークやオーバーアームサイドストロークで泳ぐ外国人に対して、日本人の参加者のほとんどが日本泳法で泳いでいたということです。
その後、1914年(大正3)年に、日本で最初の本格的な競技大会ともいえる第1回水上競技大会が、現在の大田区の大森海岸で開催され、100m、200mなどの自由形のタイムが競われました。
さらに、1917(大正6)年には、神田に日本初の温水プールが作られるなどして、日本泳法に替わって、スポーツとしての近代泳法が徐々に浸透していきました。